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小説を大阪弁や死後に変換してみた

ブログネタ:文章を色んな言葉に変換してくれるサイト! 参加中

本文はここから


大阪弁に変換した文

彼はそれを見て、昔、ケツに恋した女性に似とると書いてきたちゅうわけや。
ほんで彼はその後、封書にて手前の舞踊劇団の公演のチラシと手紙を送ってくれたちゅうわけや。
アングロ劇団のようで舞台衣装に身を包んだカツミンの顔は真っ白に塗られたあって素顔は何やらようわからへんかった。
カツミンは真っ正直な人やさかい、その後、囚人はんに宛てた掲示板の書き込みで、うちの写真を革命的マスタベーションのオカズにしとるとか悪びれる事もあらへんと書いとった。
うちにもメールで「送ってもろた写真をコンビニのコピー機で拡大コピーしてアパートの壁に貼って革命的マスタベーションしてんねん」と書いてきたんや。
そやけど、彼は、HPで我の写真を公開しとる他のオナゴ管理人つれの写真でも革命的マスタベーションしはるんやてどなたはんかの掲示板に書き込みしてはった。 
結局、どなたはんでもええのんちゃうん?と当時、うちは思ったものやった。


2ちゃん風味に変換した文

彼はそれを見て、昔、最後に恋したお女性に似ていると書いてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!。
そして彼はその後、封書にて漏れの舞踊劇団の公演のチラシと手紙を送って(ヽ゚д)クレた。
アングロ劇団のようで舞台衣装に身を包んだカツミンの顔は真っ白に塗られており素顔は何だかよくわからなΣ(; ゚Д゚)カッた。
カツミンは真っ正直な人で、その後、囚人タソ♪に宛てた掲示板の書き込みで、等身大の私(笑)の写真を革命的マスタベ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!ションのオカズにしてるおとか悪びれる事もなく書いてΣ(゚Д゚ υ) イタ!!。
等身大の私(笑)にもメ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!ルで「送ってもらった写真をコンビニのコピ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!機で拡大コピ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!してアパ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!トの壁に貼って革命的マスタベ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!ションしてるお」と書いてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!。
でも、彼は、HPで漏れの写真を公開してるお他の女性管理人友達の写真でも革命的マスタベ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!ションするのだと誰かの掲示板に書き込みしてΣ(゚Д゚ υ) イタ!!。 
結局、誰でも(・∀・)イイ!!のかな?と当時、等身大の私(笑)はオモタものだった。

死語に変換した文

彼はそれを見て、昔、最後に恋したレディに似ていると書いてきた。
そして彼はその後、封書にて自分の舞踊劇団の公演のチラシと手紙を送ってチョた。
アングロ劇団のようで舞台衣装に身を包んだカツミンの顔は真っ白に塗られており素顔は何だかよくわからなかった。
カツミンは真っ正直な人でねー、てゆっかぁ~その後、囚人っちに宛てた掲示板の書き込みでねー、てゆっかぁ~私の写真を革命的マスタベーションのオカズに状態って感じぃ~とか悪びれる事もなく書いていた。
私にもメールで「送ってもらった写真をセブンイレブンいい気分のコピー機で拡大コピーしてアパートの壁に貼って革命的マスタベーション状態って感じぃ~」と書いてきた。
でも、彼は、エッチ・スケッチ・ワンタッチPで自分の写真を公開状態って感じぃ~他のレディ管理人マブダチの写真でも革命的マスタベーションするのだと誰かの掲示板に書き込みしていた。 
結局南極、誰でもいいのかな?と当時、わたし的には思ったものだったぁ~。

もんじろう(コトバ変換)
http://monjiro.net



doboraの頃-4【憧れ】


その当時(2001年頃)初心者で溢れかえっていたガイアックスでは、
都会に出てきた田舎者が煌びやかな都会でカルチャーショックを受けるのと同じ様に
初心者達は、少々ネットの知識のある先輩達がサイトで鳴らしているMIDIデーター
文字を上下左右に流したり画像をリンクさせる等の小技やフラッシュなどにカルチャーショックを受け心を奪われた。
今でこそ、それくらいの事は操作している人間が凄いのではなくて、その音源を作っている人やソフトを開発した人の方が何十倍も優れているのだという事は良くわかっているが、
私も含めネットデビュー間無しの初心者というものは、そんな初歩的な事でも初めて見るものだから、いちいち感動し、
それを当たり前のようにやっている先輩を褒め称え尊敬したものだった。

私が一番最初にガイアックスで出会った男性は記事自体はどんな事を書いていらしたのかは全く思い出せないのだが、
活字から、そこはかとなく伝わってくる紳士的な物腰(活字だけなので気のせいだとは思うが(^^;)と、
上記のような小技以上に何やら深いネットの知識を持っている事が窺えて私はこっそり憧れていた。
その事は今まで誰にも話した事は無い。
確か宝島出版という出版社などでライターの仕事をしていると書いていた。
それは私が掲示板で職業を尋ねたから書いたのであって、彼自身はHPの何処にも、そんな事を書いていたわけではない。
今もそう思っている人も少なからずおられるとは思うが、当時はプロフィールにライターとか作家とか書かれてあるだけで、
意味もなく沢山の人々が掲示板に書き込みを行っていたように思う。
いや・・・書き込みを行う人々にとっては意味があったのかもしれない。
おそらくライターや作家などという職業は選ばれた文才のある人にしか出来ないという思い込みから、
それが自称ライターであっても、そう聞いただけで即尊敬し交流を持ちたがる人はいるようであった。
彼は、おそらくそういう事がウザかったのでプロフィールで職業を公開していなかったんだろうと思う。
それはともかく私はその人の職業がライターであるという事を知る前から、その人に漠然とした憧れを持った。

やはりポッと出のネットの事を右も左も知らないようなお登りさんにとっては、ネットの知識を重厚に積んでいる人は
どうしても素晴らしく感じられてしまうものなのだろう。
しかし、そんな事を文字にして相手に伝えられるような性格ではない私は、とうとう最後までその憧れを活字に変えた事は無かった。
彼はいつの間にかHPを放置して何処かへ消えてしまった。
消える少し前に彼が私に、まるで餞別のようにくれたものがある。
それは点滅する沢山の小さなハートで囲まれたテーブルで中央に彼のサイトのタイトルが書かれてあった。
今はわかりきったそういうテーブルの仕組みも、何も知らないその当時は、とても素敵なものに見えた。
それを私の掲示板に貼り付けて彼は言った。
「このハートの中央の文字をクリックするとドボラのサイトから僕のサイトに直通なんだよ」
ああ~ズッキューン・バキューン。

別にこれは口説かれたわけではないと私は思っていたが真相は藪の中である。
このように当時のガイアックス簡単HPでは、初心者の女性の心を掴むのは赤子の手を捻るように簡単だったのである。
ただ私は「ありがとうございますo(*^▽^*)oワーイ♪」以上の反応をしなかったので、この話に進展はない。

彼が消えてから1年以上経ってから、またそのサイトの跡地へ行き、彼のブログの掲示板で、
こっそりつまらぬ愚痴をしたためていた事があった。
終いにはその跡地に友達も呼んで、秘密のダベリ場にしていたら、
一度、彼が戻って来た事があり「利用してくれてるんだね。ありがとう」と書いてくれた。
その後、少々話しを続けたけれど、結局それが最後だった。

doboraの頃-3【ドボラと個性的な人々】


自分のサイトを『バブル刑務所』と名付けて奥さんの事を、看守と呼び、その奥さんとの
ユーモラスな会話を獄中日記に綴っていた囚人444号さん。
その囚人さんの子分と名乗り『よこはめ刑務所』で貧乏神と暮らす舞踊家カツミンさん。
彼は横浜の人で、本当に貧乏らしく、よく家賃を何ヶ月分も滞納しているのに、焼酎を買ってしまったと書いていた。
ガイアックスで、この人を知らないとモグリじゃないのか?!と言うくらい有名なのは
元祖キリ番ゲッターの博多のおいさん。
おいさんは、とにかく大勢の人と交流していた。
おいさんんは毎日400人ほどの管理人仲間のHPに足跡を付けて回る。
『キリ番』というのは、HPに付いているキリのいい番号の事で『キリ番ゲッター』とは
、そのキリ番を踏んで獲得する人という意味。
これは相互交流が何よりの目的の人達の間で行われているもので、
本当に、おいさんが元祖なのか、どうかは私は知らないけど、とにかく、おいさんは、こういう事もやりながら、全国各地にドンドン管理人仲間を増殖して行く人である。
おいさんは写真撮影が得意なので四季折々の綺麗な風景写真と愛犬リックの愛らしさが、おいさんのHPの売りである。

女性で抱腹絶倒に楽しかった人はニューヨークに暮らしていたキャリアウーマンのモニコ。
モニコは奔放な人でニューヨークに彼がいたようなんだけど・・浮気しちゃったとか、彼との赤裸々な性生活を読む者に巧みに空想させるようなキーワードを掲示板や日記で私達によく発信してくれていた。

私はよく、博多のおいさんやモニコを想って替え歌を作った。
博多のおいさんへ捧げたのは『花とおじさん』という曲の替え歌で『毒花とおいさん』もちろん毒花とは、私の事である。モニコには『サンタモニカの風』の替え歌で『サンタモニコの風』や昔のカルピスのCMソングの替え歌で『モニコマイラブ』

囚人444号さんは新潟、カツミンさんは横浜、博多のおいさんは文字通り博多、私は神戸
でモニコはニューヨークとバラバラな所に暮らしていたけれど、みんな仲が良くて、囚人さ
んが全員の写真を集めてニューヨークの町並みを背景に5人の写真を合成して『ニューヨークでOFF会』っていうのを作った。
それを見た時『へえ・・・ネットって面白い事が出来るんだな』と感心した。
そうやって集合写真まで合成して遊んでいると会った事のない人達でも心底、親
しみが沸いて、いつか本当にOFF会をやってみたい気持ちが芽生えた。

ところが、あの忌まわしいニューヨーク自爆テロ事件の1ヶ月ほど前にモニコは突然ネットから消えた。
モニコがネットから消えた事は私の心に大きな風穴を開けた。
今、思い返しても私がこれまでネットで出会い会った事も無いのに心底惹かれたのは
モニコ・・・彼女を置いて他にない。
だが、今思い返せば、あの事件の前に消えてくれていたから良かったんだと思う。
きっとモニコは生きていてくれるだろうと思えるから、これで良かったんだと今も自分に言い聞かせている。

カツミンさんに纏わる印象深いエピソードが幾つかある。
カツミンさんは確か40代半ばくらいの人だった。
博多のおいさんよりも4~5歳ほど年下だった。
何故だかよくわからないが、カツミンさんは、いつしか私に対して淡い好意のようなものを感じてくれていたらしく、囚人さんがニューヨークOFF会の合成写真を作るよりも数ヶ月前の時期にメールで写真を送って欲しいと頼まれた。
何度も懇願されたので私は数少ない自分の写真の中から一番新しい物を送ったのだが、彼はそれを見て、昔、最後に恋した女性に似ていると書いてきた。
そして彼はその後、封書にて自分の舞踊劇団の公演のチラシと手紙を送ってくれた。
アングロ劇団のようで舞台衣装に身を包んだカツミンの顔は真っ白に塗られており素顔は何だかよくわからなかった。
カツミンは真っ正直な人で、その後、囚人さんに宛てた掲示板の書き込みで、私の写真を革命的マスタベーションのオカズにしているとか悪びれる事もなく書いていた。
私にもメールで「送ってもらった写真をコンビニのコピー機で拡大コピーしてアパートの壁に貼って革命的マスタベーションしている」と書いてきた。
でも、彼は、HPで自分の写真を公開している他の女性管理人友達の写真でも革命的マスタベーションするのだと誰かの掲示板に書き込みしていた。 
結局、誰でもいいのかな?と当時、私は思ったものだった。
それが2001年の夏頃。
その年の暮れ頃だったろうか・・・来年、大阪公演があるので、その時に是非ドボラさんに会いたいというメールが来たのだけれど、私は正直、恐くて会えなかった。
私の写真を見ていくらマスターベーションされたところで実害はないが、本物と会って二人で夜にお酒を飲んで、カツミンが変な気持ちにならないという保証はどこにあるだろうか?
私は、それとなく、その話を断り、そのせいかその後、少し私とカツミンの間には心の距離が出来た。
プロフィール

桃

Author:桃
文学と映画の好きな主婦。
神戸に住んでいます。

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